★8月2日
中国時間の正午頃、ネパール時間の朝(中国時間との時差2時間15分)、ついに私はネパールに入国。
私たちをネパールの首都、カトマンズまで運んでくれるのは、ちょっと小太りのネパール人。ダムの町で交渉成立。中国語が当然の如く通じず、ネパール語はさっぱりの私たち。やはりここは”英語”でいくしかない!!!でも私の英語は”没有漢語好”(中国語ほどうまくない)というレベルなので、私はこれまで以上にコミュニケーションに四苦八苦することになります。
両国の国境からネパール側の国境の街コダリのはてまで、途中でいきなり乗ってきたネパール語を扱う怪しげな中国人も乗せて、私たちの車の旅は再びスタート。
この怪しげな中国人にはあとでのちのち悩まされることになるとは知らず………
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ネパールの治安は決してよくない。有名なテロリスト、マオイスト(毛派)の勢力も小さくはありません。国境警備も厳重で、何度も検問がありました。街には中を担いだ軍人が…(右写真参照)
夏で雨期のカトマンズへ向かう道は、決してよくありません。至る所で決壊していて、土砂崩れなどで車が何度とまったことか。それでも緑の多い景色や全く初めて見る”ネパール”は、私たちの目を楽しませてくれました。
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そして遅ればせながらの昼ご飯…

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ネパールの国民食『ダルバート』
(何種類かのカレーと、ごはんのセット。お変わり自由)
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事前に下調べしていたこの料理。
お変わり自由なため、この一言が大事
”プギョ!!!(十分です!!!)
チベット圏で食の一番楽しめるところ…
その言葉に嘘はありませんでした。めちゃめちゃおいしい!!!!!!こりゃ動かないと間違いなく太るぞ…………と初っぱなから想いながら結果は結局…(-_-)久しぶりにおいしいコメも食べて私のテンションはだんだん高まっていったのです。
カトマンズまでの道は約5時間(もっとかかってかも…)。道が悪かったのもありますが、思った異常に時間がかかりました。時間がたつにつれて、車は順調に進むようになりますが、緑は少なくなって、ネパールの町が私たちの目の前に現れてきます。当然ですが、見慣れた漢字とチベット文字はなくなって、街にはネパール語と英語。もちろん民族が違うので、人々の姿も違う。道を歩く女の人はサリーをまとっている。ああ、南アジアに来たんだなぁ、とを窓から風景を眺めて、実感しました。
結局運転手に連れられてついた、タメル地区(旅行者の集まる一角)の”ラサゲストハウス”というところに決めて、私たちのネパール(カトマンズ)滞在は始まりました。
★8月3日
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タメル地区は旅行者の地区。あちこちにおみやげやと両替屋、レストランが並び、街を歩くのは外国人。やはりいます日本人。至る所で目撃しました(笑)日本人って本当にどこにもいますね…
おみやげ屋の店員には、日本語で呼び込みを何度受けたことか…。”カシミヤ””安い安い”…等々。日本人観光客に見慣れた彼らには、私も日本人だと一発で見破られ、散々声をかけられました。日本人にはあまりなじみのない、値切りの習慣。ちょっと値切っただけで満足してしまう国民性も手伝って、海外のおみやげ物経営者から大歓迎のお金持ち日本人…。中国でも常に思いますが、日本人は本当にいいかもにされてしまいます。
ちょっと無理かも、と思える値段から値切るのが大切です(笑)中国で散々学んだ私も中国人のピーピーやシャオティンには感服でした(;^^)
…ただ、後日”ハッパ、イル?”と声をかけられたことには、唖然…。
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時間のないシューシュー(清華大学の教授に呼ばれているらしい)は、なんと2泊3日という強行スケジュールでのネパール滞在。時間に余裕のある私たちとは別行動となりました。
私たち女3人は、朝からおいしいサンドウィッチを食べて、鋭気を養いました。中国のパンのまずさにへきへきしていた私は、パンとチーズで作っただけのサンドウィッチに大感激。久しぶりに食べる味に頷いてばかりでした。それからすぐ近くにあるネパールの王宮(ネパールは王制です)を見に行きました。当然厳重な門がまえで中をはっきり拝めないような高い柵に囲まれているのですが、、門衛たちはとってもフレンドリー。次の目的地の行き方を聞く私たちに、とっても丁寧に答えてくれました。そして記念撮影。

王宮前にて
彼らに別れを告げて、旧王宮であるダルバール広場へと向かいました。どうやら世界遺産らししいけれど、整備が行き届いているとはお世辞にもいえない…。ゴミは落ちているし、人はその世界遺産であるはずの建物の中で寝ているし、壁は崩れかけだし…。
さすがに”きれい”という言葉は口から出てきませんでしたが、ヒンズー教の独特の文化を見ることができました。ヒンズー教は多神教であるので、たくさん

ダルバール広場にて。
ここで写真をとったり、ラッシを飲んだり、アイス(鬼ウマ)を食べたり、(食べてばっかり)街をぶらつ、タメル地区へ戻りました。そして民族的な服を買ったり、しました。
晩ご飯は日本料理の店、『味のシルクロード』へ。おいしかった!!杭州で食べるのより、よっぽどおいしいのでした。店のネパール人はとても礼儀正しく、日本語も上手。そこにいたネパールの女性にかばんの作り方を教えるボランティアをしている日本人男性、岡村さん(23)と出会う。彼はとってもユーモアのある人で、ネパールの水は危険だということを必死に教えてくれました。
ネパールでの注意事項、それは水!!
ネパールの水を気づかないうちに飲んで(?)、腸チフスで緊急帰国した日本人を彼は2人も知っているらしい!!そして、彼の教訓。お風呂では歌を歌ってはいけない!!!知らないうちに口から水が入るから…。で、お風呂では鼻歌を歌わなければならないそうです。
あまりに話に説得力があったので、私は以後風呂に入りながら、鼻歌を歌うことにしました。万一口に入った場合は、はき出すようにしていました。(やりすぎ?・・・)そういえば、ここのホテルのシャワー、ソーラーシステムで温めているため、夜は冷たかったなぁ…
最後に、この店はNHKも写り、なんとだーだお阪神タイガースを見てしまいました!!!!杭州ではどう頑張っても見ることができず、いつも”ヤフー”のライブ中継で無機質な画面を注視しながら、喜んだり悲しんだりしていた私にとって、もう最高の出来事でした(*^_^*)
この夜、ピーピーとシャオティンの部屋(私は一人、彼女らは二人部屋)で、おしゃべりしました。女の子が三人集まってどんな話をするかといえば………それはこれしかないでしょう。
恋バナ
メインはシャオティンの恋愛話。それから今までふれてはいませんでしたが、私たちは密かにラオリーはイエイーを好きだと、疑っていたのです。ずっとそう思いこんでいました。”でもラオリー、イエイーには彼氏が。だからそれは不毛な片思いなのよ”と心の中でも思っていました。
しかしこの旅終了後…事態は急展開するんですね。私の知らないところで、恋愛の神様は違うところででその力を発揮していたみたいです。私も身を削ってキューピッド(?)を演じてただなんて、思いもよらなかったこと…。これはまたエピローグにて…。
やはりシャオティンとトントンとの行方が気になるところ。シャオティンはなぜかトントンのもとへ戻ることを躊躇っているようでした。
『トントンと一緒にいるのは、楽しい、一緒にチベットで旅するのも楽しい、でも一緒にいても最後は別れなければならない、つらいのが目に見えているから、だったら今は一緒に旅をしない方がいいんじゃないか…』
でもトントンに”我開始愛ni…”(君を愛し始めた)とも言われたらしい。
…………。
ここまで来たなら、自分の好きなようにすれば、今更悩むことはないでしょ。
話を聞くとシャオティンは付き合っていた広州の彼氏に別に女の子がいて、自分にも他にいて…すべてをリセットしたくて、旅に出たもよう。中国人の女の子は保守的、だと勝手に思いこんでいた私は少しびっくり。シャオティンやピーピーの友達の話を聞いても、日本の開放的な女の子と何一つ変わりない。
南方の女の子は開放的だ!!!これは偏見に近いかもしれませんが、中国人の子も言ってたので、一応傾向としてあるとは思います。改革・開放による経済の発展の恩恵をいちばんに受けた地域にあって、人々の行動も開放的になったんでしょうね。
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